生の主張
血の匂いがする。 ――自分の体に染み付いている匂いを感じながら、当たり前の事を思った。 それはそうだろう。つい数時間前まで、その血生臭い現場にいた…否、その現場を作り出したのだから。 今回殺った男の顔はすでに記憶にはなかった。ただ、 呪いの呪詛を死ぬ間際に吐き捨てて消えていった事が酷く印象的で、嫌悪を感じた。 いい気持ちになるはずもない。だが、それもまた自業自得というものだろう。 男の胸から溢れる血を見て、自分は失敗したのだと、思った。 殺すときに相手に苦しみを与えるほどの猶予は与えない――それがせめてもの報いというものだろう。 そう思っていた。そして実行してきたというのに、今日に限って狙い目を狂わせた。 経験上、それなりのものを積み上げてきたつもりだったのに、今日に限って失敗したのだ。 別段落ち込むわけでもなかったが、ただ仕事相手に申し訳ないと思っていた。 まるでその責任のように、気だるさが酷くなる。顔をしかめて、 警戒をすることもなく自宅につくや否や、すぐにシャワーを浴びようかと考えた。 だが、実際に行けばすでにそんな気力もなかった。一日酷使させた体が、精神が、体力を消耗させていた。 なんて疲れた一日だったんだろう。上着を脱いで床に放り投げ、 近くにあるソファーに倒れ込むようにしてもたれかかる。 別段熱があるようなわけではなかったが、 気だるさと吐き気がどうにもおさまりそうになくて、静かに目を瞑る。 部屋は電気をつけないままだったので室内は暗かったが、 閉じられたカーテンの隙間から街頭の光が入り込んでいた。そのまま、ゆっくりと浅い眠りに沈んでいった。 ふと感じたのは甘い香り。そして静かにドアが開閉する音が聞こえた。 意識が徐々にはっきりしてゆき、閉じた瞼を重そうに開いた。 すると首元に冷やりとした感触。見る間でもなく、 自分の首に刃物が当てられていることに気がついた。 視線をゆっくりとあげれば、そこには怪しく微笑んだ青年が、 三叉槍を構えたっていた。年は同じくらいだろうか、至って若い。 だが、発する気配が尋常でないことを感じていた。そして、自分に抑制することなく向けられている殺気にも。 「Buona sera ・」 ですよね?と言って首を微かにかしげる男は、笑いながらも、冷めたオッドアイの目を離すことはない。 問いかけられた確認の言葉に、微かにうなずけば満足そうにまた嘘臭い笑みを浮かべた。 僕も自己紹介をしましょうか、と問われた言葉にはなんの反応も示さなかった。 言われなくても、見た目で大体の見当はついていたし、心当たりもあったからだ。 そうだとすれば、この男は自分が勝てる相手ではないということも。 無言を肯定ととったのか、元からこちらの反応なんてどうでもよかったのか、男は勝手に自己紹介をはじめた。 「僕はボンゴレファミリー霧の守護者、六道骸といいます。 …随分腕のいい殺し屋と聞いていましたが、こんなに若いとは少し予想外ですね」 「…ボンゴレか」 「心当たりはあるでしょう?先日貴方が殺した相手が、 我々にとってはどういう存在だったか知らないわけではあるまい」 確かに。先日依頼されたのはとあるマフィアのボスの殺害。 小規模ではあったが、実力を兼ね備え情報力に長けていたため、実力を伸ばしつつあった。 そしてそれを感づいていたボンゴレは脅威にならないうちにと、同盟の話を持ちかけていたらしい。 それが決まれば、ボンゴレの利益は多く、とても有効な話だった。だが、それがまとまりかけた直前に、 何者かによってボスが殺害された。おかげでそのマフィアは壊滅し、ボンゴレの同盟の話も一切なくなってしまった。 最近の裏社会ではちょっとした話題になった話だった。そして、それを実行したのが自分だ。 ボンゴレはそれをかぎつけ、自分を殺しにきたというわけだろう。それにわざわざ守護者を送ってくるのだから、 確実に。眠りについて引いていった気持ち悪さが、また戻ってきた感じがして体が強張った。 せめて起き上がりたかったが、それは不可能だろうと自分に突きつけられたままの刃物を感じて思う。 「にしても、まんまと敵の侵入を許してしまうとは…少し拍子抜けでしたよ。どんな凄腕かと思ってたのですが」 「買い被りすぎだ」 「そのようですね。…さて、僕は本日君を殺しにきたわけなのですが、どうしましょうか?」 「どうするもなにも、ないんじゃないか?」 「今から自分が殺されるというのに、随分と冷静だ。それはそれで、つまらないですね」 「…つまらない、か」 そう六道骸に言われ、確かにと自分でも自覚を持った。 今から自分はこの男に殺されるのだ。なのに、恐れも、安堵も、何一つ感じていない。 それは相手にとって何も感じない物を壊すのと同じ。つまらないことなのだろう。 自分自身は、そんな感情は当になくなっていた…否、元から何も思わなかったかもしれない。 すでに記憶はないものであったが、人を殺すことに躊躇はない。 だが、殺されることとそれは、まったくもって違う話だ。 「どうやったら、君みたいな人間ができるのでしょうね。人は誰でもどちらかに偏るものですよ」 「…本当に、俺がどっちでもいいと思ってる?」 唐突に、首に当てられた刃を無理矢理外し、すばやくソファから飛び降りて男の正面に立った。 服に忍ばせてあった銃を、持って構える。…一瞬の出来事だった。 だが、その一瞬で一気に形成は逆転されてしまった。 三叉槍の刃は少し首をかすり、小さな傷を作った。 じんわりと、そこから血が流れ出ることを感じる。今までおとなしかったからだろう、 完全に油断していた骸は対処に遅れ、あっさりと抜け出されたことに驚いていた。 だが、すぐそれを笑みに変える。まるで、ようやく楽しくなってきたと笑うように。 そこで自分もまたようやく全身を遅いっていた気持ち悪さが、完全になくなったことを感じた。 頭がすっきりと働き、すがすがしいほどだ。黒光りする銃口を自分より高い位置にある男の頭にしっかりと向けて、 引き金をおさえる。だが、すぐに体勢を整えた骸もまた三叉槍を構えなおしていた。 だが、この状況では自分に有利なのは確かだった。三叉槍に射程距離に入らないほどの距離をおいているため、 引き金を引けば、こちらが勝利で終わる。だが、別に殺すつもりがあるわけでもなかった。 「結局は生きるためにこういう行動をとる。俺はどちらでもいいわけでもない。 どちらでもいいわけがない。十分、俺だって偏ってる。人は死があるから生が恋しい。 それが続く限り、もがいてやるよ。…お前だって、随分偏ってるだろう」 「もちろんですよ。…君は、なかなか面白い男ですね」 骸は顔に貼り付けていた笑みをやめて、怪しい笑い声とともにとても愉快そうに笑った。 これがどうやら本性らしく、そちらのほうが合っていて好ましい。そしてその口から、 予想外の言葉が飛び出て思わず固まってしまったのも、その数秒後。 ――残念ながら自分もこの男も、まともという言葉とは無縁らしい。 (20080721) 相変わらず思いついたまま書き始めるのでしまりがありません。 |